終戦の時点で、この街には産業がありませんでした。もともと住むための街として伸びてきた場所です。工場を持たず、港を持たず、観光地でもない。
それが、平時には強みでした。静かで、空気がよく、大阪と神戸の両方に通える。人が集まってきたのは、そのためです。
ところが焼け跡に立つと、同じ性質がそのまま弱みになります。
市街地のおよそ三割が焼け、人口の半分が焼け出された。建て直すには金が要る。けれど税を生む産業がない。当時の記録には、復興するにも財源の手だてがない、という趣旨のことが書かれています。
それでも、街は動き始めていました。五か年の計画を立てて、焼けた市街地の区画整理に着手しています。道を引き直し、宅地を整え、公共施設を戻す。金がないなかで、できるところから手をつけていた。
ただ、それだけでは足りないことも分かっていました。区画整理は、どの街でもやる復興の手順です。それを普通にこなしただけでは、どこにでもある画一的な街に戻る。芦屋が芦屋であるための根拠が、別に要る。
そこで出てきたのが、隣の自治体と一緒になるという構想でした。単独で立ち直れないなら、大きな枠に入る。当然の発想です。実際、戦後の再建にあたって、隣接する自治体との合併が検討されています。
焼けると、稼ぐ手段を持たない。
芦屋は、その道を選びませんでした。
合併すれば、この街の性格は薄まります。周囲と同じ規格の復興計画に組み込まれ、住宅都市としての特色は出しにくくなる。そう考えた人たちが、別の道を探し始めました。