この街への最初の空襲は、昭和二十年五月十一日の午前でした。ただし、狙われていたのは芦屋ではありません。
第一目標は、隣の本庄村にあった川西航空機の甲南製作所です。いまの神戸市東灘区、青木のあたりにあたります。航空機をつくる工場でした。
落とされたのは五百ポンド、およそ二百五十キロの通常爆弾です。投下されていた時間は、午前九時五十三分から十時三分まで。
十分間でした。
工場を叩くための攻撃ですから、精密に狙って、短く終わらせるのが目的です。その十分のあいだに、爆弾のいくつかが目標から外れました。
爆撃には、二つのやり方がありました。工場や軍の施設といった一点を狙って壊す精密爆撃と、市街地を面で焼く地域爆撃です。この日は前者でした。目標を一つ決め、そこへ向かって短い時間で落とし、引き返す。落とされたのが焼夷弾ではなく通常爆弾だったのも、そのためです。
この違いは、覚えておいてください。三か月後の夜には、まったく別のやり方が使われます。
この街の四年半にわたる戦争被害は、そういう形で始まっています。誰かが芦屋を地図の上で選んだのではなく、隣町を狙った弾が届いた。
市になって、まだ四年半でした。