芦屋みっけ 特集芦屋の来歴

HOW BEAUTY IS DECIDED

美しさの
決め方

この街の外壁に使える色は、彩度で決まっています。赤と橙は四以下、黄は三以下、それ以外は二以下。美しさは、数値で書いてあります。

PHOTO — 芦屋川沿い(写真差し替え)

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01

三年後の四月

震災から三年後の平成十年四月、南芦屋浜に人が住み始めました。

第五話で書いた芦屋浜の、さらに南に足された土地です。市の地図で七番目のエリアになっている一帯は、このときまで、住所として存在していませんでした。

この新しい土地には、順に施設が開いていきます。芦屋キャナルパーク。病院。下水処理場の上に造られたウォーターパーク。総合公園。人工の浜と、親水公園。運河をはさんで住宅が並び、ヨットハーバーとレストランができ、係留施設のついた住宅までできました。

海洋町、陽光町。町の名前も、海と光からとられています。

震災で家を失った人のための復興住宅も、この土地に建てられました。第六話に書いたとおりです。海のリゾートとしてつくられた街と、家を失った人の行き先が、同じ埋立地の上に並んでいる。

そしてこの土地を最後に、芦屋の地図は、いまの形になりました。

FIG.1南芦屋浜の運河沿い。平成十年に人が住み始めた土地です(写真差し替え)

02

庭園都市

平成十六年、市は「庭園都市」を宣言します。

世界中の人々が一度は訪れてみたいと思うまち。世界一美しく、清潔で安全なまち。掲げられた言葉は、そういうものでした。

第四話の建設法から、五十三年がたっています。あのときは、国際文化住宅都市でした。国から援助を引き出し、焼け跡から立ち上がるための旗です。それが半世紀を経て、庭園都市という旗に変わった。援助を求める言葉から、美しさを掲げる言葉へ。

震災の九年後です。世帯の半分が全壊か半壊した街が、建て直しをほぼ終えて、次に掲げた目標が「美しさ」だった。

建て直しが終わったとき、
次の目標は、美しさでした。

偶然ですが、同じ平成十六年に、国は景観法という法律をつくっています。街の見た目を、自治体が法的な根拠を持って決められるようにする法律です。市が美しさを宣言した年に、国がそのための道具を用意した。芦屋は五年後、この道具を全国のどこよりも徹底して使うことになります。

翌平成十八年には、第六十一回の国民体育大会がこの街で開かれています。競技会場になったのは、キャナルパークと芦屋警察学校。カヌーと、ライフル射撃のピストル種目。運河でカヌーをやったわけです。平成十年に人が住み始めた土地が、八年後には国体の会場になっている。

ただし、宣言は宣言です。美しさを掲げただけでは、街は美しくなりません。ここから、この街は美しさを制度に変えていきます。

03

二〇〇九年七月

平成二十一年七月、芦屋市は市域の全部を景観地区に指定しました。

景観地区というのは、景観法という国の法律に基づく仕組みです。指定された区域では、建物の形や色に基準を設け、それに合わないものは建てられない。多くの自治体が、駅前や観光地や歴史的な町並みといった、限られた区域に指定しています。

芦屋は、全部を指定しました。市の一部ではなく、市域の全域です。全国で初めてでした。

どこに住んでいても、どこに建てても、同じ基準がかかる。山手の邸宅街も、駅前の商業地も、海沿いの埋立地も、区別がない。

第一話に書いた六麓荘の建築協定は、昭和三年に、山の上の一区画について住民が決めたものでした。第四話の建設法は、昭和二十六年に、街の性格を市全体で決めたものでした。そして平成二十一年の景観地区は、街の見た目を市全体で決めた。

一区画で決め、
性格で決め、
見た目で決めた。

三段重ねです。九十年近くかけて、決めごとの範囲が、山の一角から街全体へ広がっていった。

FIG.2山手町の坂道。この道沿いの家も、駅前のビルも、同じ基準の中にあります(写真差し替え)

PHOTO — 芦屋川沿いの住宅(写真差し替え)

04

彩度四以下

基準の中身を、少しだけ書きます。

外壁の色は、色相ごとに使える彩度の上限が決まっています。赤と橙の系統なら彩度四以下。黄の系統なら三以下。それ以外の色相なら二以下。

彩度というのは、色の鮮やかさの度合いです。数字が大きいほど派手で、小さいほど落ち着く。芦屋では、外壁に鮮やかな色が使えません。赤も、黄も、青も、くすんだ色にしか塗れない。

これは、大きな建物だけの話ではありません。一戸建ての住宅も、同じ色の基準の中にあります。自分の家の外壁を、好きな色に塗れない。塗り替えるときも、基準に合った色から選ぶことになります。

屋根も同じです。基調になる色はけばけばしくならないように、外壁と調和するように、と書かれています。

大きな建物には、さらに条件がつきます。山と海への眺めを損ねない配置と規模と形にすること。屋上の設備や塔屋は、周囲から見えないように工夫すること。エレベーターの機械室や給水タンクを、通りから見せない。

芦屋を歩いて感じる色の揃い方は、住んでいる人の趣味が似ているからではありません。使える色が、条例で数値として決まっているからです。

この基準に合わない建物は、建てられません。建ってしまったものには、認定がおりない。

翌年の十一月には、芦屋川の沿岸一帯が、さらに厳しい特別景観地区に指定されました。同じ年の八月には月若町、十一月には大原の一帯で、合わせて十七地区の地区計画が決まっています。全域に基準をかけたうえで、場所によっては、もう一段きつくする。

05

三百十八件

建物の次は、看板でした。

景観地区で建物の形と色を決めたあとも、屋外の広告については兵庫県の条例に従っていました。市独自の基準がなかった。そこに、最後の一手が打たれます。

平成二十八年七月、芦屋市屋外広告物条例が施行されました。

市域を七つの区域に分け、それぞれで看板の大きさ、文字の大きさ、使える色を定めています。山麓地域、住宅地域、複合地域、芦屋川の沿岸、南芦屋浜。区域ごとに、許される範囲が違う。

区域の分け方は、土地の使われ方に沿っています。山麓地域は市街化調整区域、つまり山側で、そもそも建物が少ない場所です。住宅地域は低層と中高層の住居専用地域。複合地域は、住居と商業が混じる地域です。看板がいちばん多く出るのは複合地域ですが、そこでも基準は緩くありません。

全域で禁止されたものがあります。屋上に載せる広告。建物の壁から突き出す看板。ネオンサイン。回転灯。LEDの使用。アドバルーン。蛍光塗料。派手な原色を組み合わせた広告。

文字は、一文字あたり一平方メートル以下。芦屋川の沿岸では、黄色とピンクが使えません。

屋上の広告は、
市内のどこにも置けません。

条例ができた時点で、市に届け出のあった屋外広告は八百四十五件ありました。新しい基準を当てると、そのうち三百十八件が合わなくなります。およそ四割です。

四割の看板に、消えてもらうことになった。地元の商工会から反発の声が出たことも、報道されています。当時の市長は、この条例について、百年後の市民から感謝されるはずだ、という趣旨のことを語っていました。

いま出ている看板の四割を、百年後のために外す。そういう決め方です。

既存の広告には、三年から十年の猶予期間が設けられました。撤去や改修に助成が出る仕組みも、あわせて用意されています。十年の猶予は、令和八年の七月で終わりました。今年です。

FIG.3–6市内の商店街と駅前。看板の大きさと色が揃っています(写真差し替え)

06

四段重ね

ここまでの七話を、決めごとの順に並べ直します。

昭和三年。大阪の実業家たちが、山の上の一区画について、一戸あたり三百坪、商店も集合住宅も建てない、と決めた。

昭和二十六年。市民が住民投票で、この街を住宅都市にすると決めた。工場も、観光地も選ばなかった。

平成二十一年。市が市域の全部を景観地区に指定し、建物の色と形を決めた。

平成二十八年。看板の大きさと色を決めた。

一区画で決め、性格で決め、見た目で決め、看板で決めた。四段重ねです。

芦屋の美しさは、
四回、決められています。

四つの決めごとのあいだにも、細かい決め方は積まれています。平成二十三年には、清潔で安全・快適な生活環境の確保に関する条例、通称の市民マナー条例が改正されました。建物と看板だけでなく、住んでいる人のふるまいにまで、決めごとの範囲が届いています。

そのあいだに、この街は三度こわれています。昭和十三年の水と、昭和二十年の火と、平成七年の揺れです。こわれるたびに建て直し、建て直すたびに、前より決めごとを増やした。

芦屋の美しさを、自然にそうなったものだと思う人は多いと思います。山があって、海があって、川があって、それに囲まれた場所に品のいい人が住んでいるから、美しい。そういう説明です。

そうではありません。この街の美しさは、決めたものです。九十年かけて、四回、紙に書いて決めた。そのとおりに建ち、そのとおりに塗られ、そのとおりに看板が外された結果として、いまの風景があります。

整っているのではなく、整えてある。第一話の最後に書いた一行は、ここまで来て、ようやく全体の意味を持ちます。■

COLUMN

決めるということ

決めるというのは、何かを選び、何かを選ばないことです。昭和二十六年の投票で、四人に一人が反対しました。平成二十八年の条例で、四割の看板が不適合になりました。

美しい街は、誰かが我慢した結果として成り立っています。その我慢の跡は、風景には残りません。残らないから、きれいに見えます。

07

歩いてみる

最終回の歩き方は、ひとつだけです。

この特集を読んだあと、もう一度、ふだんの道を歩いてください。同じ道です。

外壁の色が揃って見えたら、それは彩度が条例で決まっているからです。看板が小さく見えたら、一文字一平方メートルという基準があるからです。屋上に何も載っていなければ、載せられないからです。家が新しく見えたら、三十年前に半分が全壊か半壊したからです。道が静かなら、七十五年前に住民が投票でそう決めたからです。山の上に商店がなければ、九十八年前に実業家がそう決めたからです。

何ひとつ、自然にそうなったものはありません。

それを知ってから歩く芦屋は、知らずに歩く芦屋とは、同じ場所で別の街です。

南芦屋浜
最後に足された土地。地図はここで完成した
芦屋川沿岸
特別景観地区。黄色とピンクの看板がない
駅前の商店街
屋上広告と突き出し看板が消えた場所
ふだんの道
同じ道が、知ったあとは別の街に見える

SOURCE 南芦屋浜への入居開始と施設の開設、庭園都市宣言、国民体育大会、全市域の景観地区指定、芦屋川南特別景観地区、十七地区の地区計画については芦屋市「芦屋市の歴史と略年表」に拠りました。景観地区の色彩基準と大規模建築物の基準は、芦屋市の景観地区に関する公開資料および芦屋市都市景観条例によります。屋外広告物条例の施行時期、区域区分、禁止事項、文字の大きさの基準、猶予期間、助成制度は、芦屋市の公開資料および報道によります。届出件数と不適合件数、商工会の反応、市長の発言は報道によります。