芦屋みっけ 読み物No.02

02

MINAMI-ASHIYAHAMA — THE NEWEST GROUND

南芦屋浜

バスを降りると、まず道の広さに驚きます。電線が一本もなく、空がそのまま見えます。芦屋でいちばん新しいこの町は、できてからまだ三十年たっていません。

PHOTO — 潮芦屋ビーチから南を望む(写真差し替え)

SCROLL

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五十年前、ここは海でした

昭和四十一年に撮られた芦屋の海岸の写真が、市の記録に残っています。写真の説明には「埋め立てを待つ芦屋海岸」とあります。いま南芦屋浜と呼ばれている場所は、そのころまだ大阪湾の水面でした。

芦屋の埋め立ては二段階で進みました。まず一九七〇年代に、いまの芦屋浜。続いて平成十(一九九八)年に、その南側の南芦屋浜の埋め立て工事が終わります。愛称は潮芦屋。芦屋の市域は、この五十年ほどで南へ大きく伸びたことになります。

平安時代から別荘地として知られてきた芦屋の千年と比べると、この町の歴史は一瞬です。けれど、それがこの場所の面白さでもあります。町がどうやってできるのかを、ほとんど全部あとから確認できる。誰が何を考えて、この道幅を決めたのか。資料が残っているのです。

FIG.1南浜町あたりの道路。歩道が広く、電柱がない(写真差し替え)

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海の上に建った未来都市

南芦屋浜のすぐ北側、先にできた芦屋浜には、独特な形をした高層住宅群が建っています。芦屋浜シーサイドタウン。一九七九年から入居が始まった、五十二棟・約三千四百戸の巨大な団地です。

これは当時の建設省が主導した国家的なプロジェクトでした。工業化された工法で高層住宅をつくるという公開競技があり、芦屋浜、新日本製鐵、竹中工務店といった企業の連合が実現させています。階段室を柱に、共用階を梁にして、箱状の住戸ユニットを組み合わせていく。メガストラクチャーと呼ばれる方式です。

四十五年前の人たちが考えた、
未来の暮らしのかたち。

いま見ると、幾何学的でどこか近未来的な外観をしています。当時の入居募集には四倍の応募があったといいます。日本建築学会賞なども受けました。

敷地の中央を宮川が南北に流れていて、そのまわりに住棟が並びます。中には店や郵便局もあり、団地というより小さな町です。設計した人たちが考えていたのは建物ではなく、そこでの暮らし方そのものだったのだと思います。

南芦屋浜を歩くと、この団地がいつも北側に見えています。新しい町の背景に、ひとつ前の世代の「新しい町」が建っている構図です。四十五年前の未来と、三十年前の未来が並んでいる。

FIG.2芦屋浜シーサイドタウンの高層住棟(写真差し替え)

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計画が、途中で書き換わった

南芦屋浜の埋め立てが完成寸前だった一九九五年一月、阪神・淡路大震災が起きました。

このとき、決まっていた土地利用計画が変更されます。空いたばかりの土地に、震災復興公営住宅を建てることになりました。震災から三年後の一九九八年に竣工したのが南芦屋浜団地です。三百七十五世帯、六百五十六人が入居しました。

ここでは新しい試みがいくつも行われています。高齢者や障害のある人を支援する生活援助員が二十四時間常駐する、県内で唯一の公営住宅として全国から注目されました。個々の住戸を確保したうえで共用の台所や食堂を持つ、コレクティブハウジングという北欧発祥の住まい方も取り入れられています。ふれあい住宅と呼ばれました。

災害でばらばらになった人たちが、もう一度どうやって近所づきあいを作るか。その問いに対して、建物の設計から答えようとした場所です。

FIG.3南芦屋浜団地。1998年竣工の震災復興住宅です(写真差し替え)

COLUMN

コレクティブハウジングとは

台所や風呂のある個室を確保したうえで、共用の食堂や談話室を備える集合住宅のことです。一九三〇年代のスウェーデンに始まり、北欧を中心に広まりました。

ひとりの暮らしを守りながら、日常のなかに人と顔を合わせる場面を組み込む。震災で住まいと人間関係の両方を失った人が多かった当時の状況に、この考え方が重ねられました。

PHOTO — 潮芦屋ビーチの磯(写真差し替え)

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白砂青松を、もう一度つくる

芦屋の海岸はもともと、白い砂と松林の続く浜でした。白砂青松と呼ばれる風景です。それは埋め立てによって失われました。

南芦屋浜の計画には、その風景を復元するという項目が入っています。実際につくられたのが潮芦屋ビーチです。市の総合公園の南端にあり、大阪湾に開けた砂浜と、潮だまりのある磯を持っています。

この磯は人の手でつくられたものです。潮の満ち引きの差を利用してタイドプールができるように設計されていて、石をどければカニや小魚が見つかります。何時間でも遊べる、という声をよく見かけます。

遊泳はできません。花火やバーベキューも禁止です。そのぶん砂浜がとてもきれいで、貝殻を拾ったり、波打ち際で足を濡らしたりするだけで満足できる場所になっています。ビーチバレーや釣りをする人もいます。

失われた景色を、
設計図から作り直す。

自然の浜ではありません。けれど、自然の浜を取り戻そうとして作られた浜です。人工と自然のどちらでもある、という点が、この場所を面白くしています。

FIG.4–7砂浜、磯広場、潮だまり、ベンチ(写真差し替え)

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家の前に、船が泊まっている

町の東側には芦屋マリーナがあります。二〇〇四年の開港で、海上係留がおよそ百六十五隻、陸上保管が三十五隻ほど。レストランのあるクラブハウスが建ち、大型のヨットやクルーザーが並んでいます。

面白いのはその隣です。レジデンシャルコーヴと呼ばれる区画は、国内で初めて、係留施設つきの宅地として分譲されました。つまり自宅の前が船着き場になっている。家と船と海が地続きになった住宅地は、当時の日本にほかにありませんでした。

マリーナから北へ、阪神高速の湾岸線をくぐると芦屋キャナルパークです。埋め立てのときにできた水路で、波が立たないため、カヌーやディンギーの練習場所として使われています。隣の陽光緑地は、桜の名所になりつつあるそうです。

芦屋川の桜が老木の並木だとすれば、こちらの桜はまだ若い。同じ市内で、これから名所になっていく途中の場所を見られる機会は、そう多くありません。

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電線のない町

南芦屋浜を歩いていて最初に気づくのは、空が広いことです。電線が一本もありません。電線類はすべて地中に埋められています。

道路も歩道も、市内のほかの場所と比べてはっきり広い。住宅地には景観協定と地区計画がかけられていて、建物の形や色に決まりがあります。道をわざと折り曲げるクランクや、車の通らない歩行者専用の小道も設けられています。車が速度を出しにくく、子どもが歩きやすいようにするためです。

芦屋川の沿岸には、川沿いの景色を守るための特別景観地区が定められています。あちらが「すでにある景色を守る」制度だとすれば、こちらは「これから作る景色をあらかじめ決めておく」制度です。同じ市の中に、両方があります。

まちづくりの基本計画には、国際文化住宅都市・芦屋の新たな展開という一文が掲げられています。何もない海面から始めて、芦屋という町の続きをどう書くか。この町の道幅や電線の処理は、その答えとして選ばれたものです。

07

まだ、育っている途中の町

南芦屋浜を歩いていて感じるのは、この町がまだ完成していないということです。悪い意味ではありません。

木がまだ細い。キャナルパーク沿いの桜は、これから名所になっていく途中だと県の資料に書かれています。芦屋川の桜が幹の捻れた老木の並木だとすれば、こちらはまだ若木です。同じ市内で、育ちきった並木とこれから育つ並木の両方が見られる。

この町の桜は、
これから大きくなります。

店も同じです。二〇一〇年に大型商業施設ができ、温泉施設もあります。それでも町全体としてはまだ余白が多い。区画が空いている場所があり、これから何かが建つ気配があります。

計画では、住宅は約三千戸、人口はおよそ八千人を想定しています。町の骨格は先に作られていて、そこに人が入っていく順番です。ふつうの町は人が集まってから道ができますが、ここは逆でした。

三十年後にこの町がどうなっているかは、まだ誰にも分かりません。それを見に行ける、というのは案外めずらしいことだと思います。

FIG.8キャナルパーク沿いの若い桜(写真差し替え)

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歩いてみる

南芦屋浜には駅がありません。JR芦屋駅や阪神芦屋駅から阪急バスに乗って、海洋町か南浜町で降ります。鉄道が通っていないぶん、着いた瞬間に町の空気が切り替わります。

歩き方は単純です。町の南端に総合公園と潮芦屋ビーチ、東側にマリーナとキャナルパーク。真ん中に住宅地。端から端まで歩いても知れています。道が広く、坂もないので、芦屋のほかの場所より圧倒的に歩きやすい町です。

おすすめは夕方です。西側が開けているので、海に沈む日が見えます。ベンチが多く置かれていて、座って眺めている人がよくいます。北を振り返れば六甲の山並みが見える。海と山を同時に見られる場所は、市内でもここくらいです。

スーパーやホームセンターの入った商業施設もあり、温泉施設もあります。半日いても困りません。夏には花火大会があり、この日は町の様子がまったく変わります。

SPR
キャナルパーク沿いの桜。若い木が多く、これから育っていく並木です。
SUM
磯遊びの季節。夏の花火大会の日は、町じゅうに人が出ます。
AUT
いちばん歩きやすい時期。風が涼しく、夕日の色が濃くなります。
WIN
空気が澄んで、六甲の山並みがくっきり見えます。海風は相当に冷たい。

DATA

愛称
潮芦屋(しおあしや)
埋立完了
平成10(1998)年
計画戸数
約3,000戸/計画人口 約8,000人
主な町名
南浜町、海洋町ほか
芦屋マリーナ
2004年開港/海上係留 約165隻
復興住宅
南芦屋浜団地(1998年竣工・375世帯)
主な施設
潮芦屋ビーチ、芦屋市総合公園、芦屋キャナルパーク
アクセス
阪急バス「海洋町」「南浜町」

SOURCES

  • 芦屋市「南芦屋浜地域」都市計画マスタープラン、「芦屋 思い出写真館」
  • 兵庫県「潮芦屋」、「潮芦屋プラン」(平成25年3月改訂)
  • UR都市機構 都市住宅技術研究所「南芦屋浜団地」
  • 神戸新聞、阪神・淡路大震災関連の報道