この条例は、突然できたものではありません。芦屋市は二〇〇九年七月、全国で初めて市内の全域を景観地区に指定しています。建物そのものに対する規制です。
ただ、看板については長く兵庫県の条例に従っていました。市が独自の条例を作るには景観行政団体になる必要があり、それを取得したのが二〇一四年四月。翌年十二月に条例を制定し、二〇一六年七月に施行しました。踏み切れなかった理由のひとつは財政です。震災復興の借入金の負担が重く、県条例に準拠していれば年間五百万円ほどの交付金が入りました。財政再建に目処がついたことが、独自条例へ進む後押しになったと報じられています。
当時の市長は「世界一美しい景観」を掲げ、百年後の市民から、なんといい条例を作ってくれたと感謝されるはずだと語りました。
芦屋川の沿岸には、建物の高さや色を定めた特別景観地区があります。南芦屋浜では、町を作る段階から電線を地中に埋めました。この街は何十年も、自分の見た目を自分で決めるということを続けています。看板の条例は、その最新の一手にすぎません。
ただし、行政が決めただけでは景色は変わりませんでした。新しい基準を当てはめると、市に届け出のあった八百四十五件のうち、およそ四割の三百十八件が不適合になる計算でした。商工会からは、看板は商売の工夫のしどころなのに説明が足りない、という声も上がっています。
それでも動いた人たちがいます。打出商店街は、アーケードに掲げていた大型広告を自主的に撤去しました。違反になるのが明らかなら外しておいた方がいい、という商店会長の判断です。壁から突き出していた銀行の看板も外されました。改修や撤去の費用は最大三分の二を市が助成しています。いまの景色は、そうやってできています。